JoJo Mayer | ジョジョメイヤー Jojo Mayerがドラムンベースをプレイする理由
今回は、人力エレクトロニカバンドNerveのリーダー、Jojo Mayer/ジョジョメイヤーのインタビューを翻訳した記事になります。
Jojo MayerがNYに移住した理由、ドラムンベースとの出会い、心境の変化について内容をまとめました。
元々はジャズドラマーだったJojo Mayerが、なぜドラムンベースという音楽に没頭するようになったのか、興味がある人はチェックしてみてください。
- Jojo MayerがNYに移住した理由
- ジャズをプレイするつもりが、時すでに遅し
- Jojo Mayerとドラムンベースとの出会い
- 当時の回想、心境の変化
- まとめ | Jojo Mayerのインタビューから学べること
Jojo MayerがNYに移住した理由
- 出生はスイスだけど、NYに移住したよね?その理由は?
生まれはスイスだけど、父親の仕事の都合で、学校に入学する頃(5~6才)までは香港で育ったんだ。
18~20歳の頃には、ドラマーとしてツアーで欧州を回っていたから、フランスやドイツにも少しの間だけど住んでいたよ。
NYに移住した理由だけど、20代中盤の頃に抱えていたフラストレーションが原因だね。当時の環境では、何かやろうとしたときに、周りから「君じゃ無理だよ」という批判があったことと、ミュージシャンとして生計を立てることに対する周りの誤解があったんだ。その点、NYは、ミュージシャンとして生きていく理想的な場所だと思ったわけ。それで、NYに住んでいた友達を頼って、まず3ヶ月間滞在することにしたんだ。
NY着いたときに、道を歩いている人がみんな自分に似ていると感じたし、ここが自分の生まれ故郷だと思ったよ。そこでジョンゾーンと出会って、その日の夜、ギグに参加したのも思い出だね。スティックすら持ってなかったけど!(笑)
その後は、もう一度NYに戻ってくる決心をして一度スイスに戻ったよ。NYでの1年間分の生活費をためるために貯金をしたんだ。でも、今同じ手は使えないな。NYは全ての物価が上がってしまった。
ジャズをプレイするつもりが、時すでに遅し
- NYでは、どういう音楽をプレイするつもりだったの?
元々は、ジャズをやるつもりだったんだが、しばらくした後に、来るのが40年遅かったことに気づいたんだ。Miles Davis, Louis Armstrong, Duke Ellinton, Charile Parkerは既にいないし、(ジャズシーンで)何か起こりそうな気配がなかったんだ。
その後は、ジャズから当時のアングラシーンだったバックビートミュージック、エレクトロニカに傾倒していったよ。当時のアングラコミュニティは、黒人が中心だったんで、alien person = Swiss dude(白人種)である俺が馴染むのは結構大変だったな。でも、90年代のエレクトロニカには、50年代ジャズのBe-bopセッションと 同じニュアンスを感じたんだ。
Jojo Mayerとドラムンベースとの出会い
俺のドラムンベースという音楽における転機は、1994年にMeshell Ndegeocelloの欧州ツアーにドラマーとして参加したときの出来事になるね。ツアーの最中、イギリスに滞在してるとき1日だけ休みがあったんだ。
その時に、クラブで開催されていたエレクトロニカミュージックのパーティに行ったんだけど、800人もの人々がオールド・スクール・ドラムンベースを聴きながらダンスしていたよ。
もちろん、1~2年前に同じような音楽を聴いたことはあったけど、それほど新しい発見はなかったと思う。でも、実際にライブで(その音楽を)体感して、これは大変なことだ!これを演奏しないわけには行かないぞ!と衝撃を受けたわけ。
それで、エレクトロニカの要素を組み入れた音楽を演奏することを考えたんだよ。
でも、当時のNYに住んでいたミュージシャンで、ドラムンベースについて理解がある人は、たった二人しかいなかったね。Zach danzigerと■■■(聞き取れず)だけだ。
彼らとは、Aphex Twin, Squrepusher, Photech, (オートラッシュ?)などの話で盛り上がったよ。ドラムンベースに衝撃を受けた俺は、ドラムンベースをプレイする場所を探す必要があったが、残念ながら当時は、ドラムンベースを演奏する場所がなかったので、まず実験場(Experimental platform)から作る必要があった。その後は、自分が衝撃を受けた音楽を追求していったよ。
当時の回想、心境の変化
NYに移住した当時は下積みも経験したよ。氷点下マイナス10度で雪が降っている中、
ドラムセットを抱えて、タクシーを捕まえようとしたけど捕まらなかったり(笑)。
辛いことや大変なことはあったけど、いつも楽しんでいたかな。
徐々に色々なことが分かってきたし、自信もついたよ。
ヴィニー・カリウタのようにプレイする必要がないこともわかったし、自分が好きなこと・心地よいと思えることを信じてやってきたことで、ドア(道)が急にひらけたんだ。
- Jojo、今日は貴重なお話を聞かせてくれてありがとう。
こちらこそ、どうもありがとう。
まとめ | Jojo Mayerのインタビューから学べること
Jojo Mayerのインタビューの内容から、私が学んだことを内容をまとめます。
- 人生のターニングポイントでは、体験に裏打ちされた「直感」に従う
- 理想と現実を受け止め、「目標」や「夢中になれるもの」に取り組む
その才能あふれる音楽性と世界最高レベルのテクニックを有するJojo Mayerの人生も、最初から順風満帆に進んだわけではなかったことが推測できます。
Jojo Mayerの人生においても、20代で感じたフラストレーション、NYへの移住、ジャズからドラムンベースへの転向という、ターニングポイントがあります。
その都度、Jojo Mayerは、自分自身で体験した「直感」にしたがって、進路を選択してきたことが分かります。
また、Jojo Mayerも「理想と現実」という問題に直面していますが、それを受け止め、その都度新しい「目標」や、「夢中になれるもの」を見つけて、一生懸命取り組んできたことが伝わってきます。
やはり、物事を長続きさせるコツというのは、「義務」とか「やりがい」とかいう要素ではなくて、経験・体験に裏づけされた「面白さ」とか「楽しさ」の方が重要だと思う。
今回は、Jojo Mayerのインタビューの内容をまとめましたが、いかがでしょうか。
Jojo Mayerの考え方、生き様からは、人生のおいて大きな意思決定を行う際に、参考になる要素が詰まっていると思います。
この記事を読んだ後に、読者の皆さんに新たな発見があれば幸いです。
【参考資料】
Jojo Mayer on Coming to New York - YouTube (Part1~3)
Prohibited Beatz - PART ONE of five parts - YouTube (Part1~5)